みんなの会の会報ができたので、ポストインを始めた。
とにかく暑いので、早朝か夕方。
今朝知り合いの家のポストに入れたところで、
たまたま新聞を取りに来た彼女と会った。
私の顔と会報を見比べながら
「え?なんで?なんでまた配ってるの?」と不思議そうに問う。
選挙に落ちても以前と同じことやってるのが不思議らしい。
でも今回からは議員としてではなく、一市民として記事を書いている。
6月議会を傍聴して見たこと、聴いたこと、感じたこと、考えたこと・・・。
伝えたいことがあるなら、書いたり話したりして伝える。
やるべきことは選挙に落ちても暑くてもやる。
そうしないといられない性分だから仕方ない。
でも昨日の朝日新聞に挟み込まれていた「あおぞら通信」を読んで、
ぐさりと心を刺されたような気がした。
「あおぞら通信」は、飯能市手をつなぐ育成会の吉岡さんが毎月1回、
障害児を育てる親の「おもい」や、企画の「お知らせ」や「詩」などを
「奥武蔵エリア新聞」の裏面に書いている。
昨日のそれにはこうあった。
(原発反対を思っていても口に出せない人について)
「言えない」という気持ちが実はよくわかる。
だってそれは障害児の親の気持ちでもあるんです。
声をあげられない人を攻めるのではなくて、
声をあげにくい世の中を変えていくのが人権運動なんだと、
私は娘の母となって、たくさんのお母さんの思いにふれて学んだことでした。
障害のあるお子さんのことを理解してほしいって思わないお母さんはいません。
でもその前に、日々の生活のこと、他の子どもたちの気持ち、
家族としての世間体、夫との考え方のギャップ・・・
ひとつひとつがないまぜになって、24時間365日介護の母親に
のしかかってくるのです。
だれだって攻められるのはイヤだし、コワイ目にあうのはイヤなんです。
だからいろんなことにフタをして、とにかく頑張ってしまいます。
周りにちゃんと伝えたいことや伝えなければならないことがいっぱいあっても、
その前に、自分の気持ちに向き合ったり、
自分の気持ちを相手にきちんと向き合ってもらうための準備をする
時間がつくれないからです。
そうして、大切な人との間で大切なことを伝え合うということが
できなくなってしまいます。
(後略)
いかに障害児のお母さんたちが毎日時間的にも
精神的にもギリギリのところで暮らしているか・・・。
「声をあげたくてもあげられない」「あげたいけどあげたくない」
そんなおもいが伝わってきます。
もっと社会が、地域が、集団が、個人が成熟し、
生活のサポートもしっかりされて、いろんな意味で理解もすすみ、
誰もが自分の考えを自分の言葉で伝えたいときに伝えられるように
ならなければいけないと思う。
そういう世の中に少しでも近づくための努力をしないと・・・。
私みたいにノーテンキに言いっぱなしではダメなんだよね。