婦選会館での研修2日目。
今日の講師は前宮古市長で岩手県立大教授の熊坂義裕氏。
穏やかかつユーモアのある話しぶりで、会場にはしばしば笑いもおきましたが、
震災当時医師に復帰していた氏が、500体以上もの検死を行ったこと、
そのご遺体の悲惨さ、自分の医院にカルテのある方のうち
90名ほどが亡くなってしまったことなど、
ときどき本当に無念そうに話す様子に、
聴いているこちらも何度も涙が出そうになりました。
パワーポイントで現地の写真をたくさん見せていただきましたが、
同じアングルの被災前と被災後の写真のあまりの違いに絶句でした。
宮古といえばスーパー堤防があり、全国、世界各国から視察団が来るほど、
津波に対しては一番強いと言われていた自治体でしたから、
前市長の無念さはいかばかりでしょう・・・。
しかし今は医師として、被災地の「心のケア」に重点をおいて活動されているそうです。
トラウマやストレス、仕事がないことで、DV、離婚、アルコール依存、自殺などが増えることは確実で、
それらを防ごうと、全国から専門家の理事、運営委員を集め、
相談や寄り添い支援をする法人を立ち上げたんだそうです。
昨日の堂本暁子さんと同様、要職を退いても衰えない行動力に驚きます。
午後は気仙沼市議と郡山市議のおふたりから、
現地の状況や震災時にどう市民を支援したか、今どういう支援活動をしているか、
放射能問題についてどう対応しているかなどについてお話をうかがいました。
気仙沼市議の家の前から撮ったという、
津波が町をのみこんで500世帯くらいが流されていく映像も見せていただきましたが、
それはもう目を覆いたくなるようなショッキングなものでした。
日高市は津波の心配はありません。
地震による被害もこれまでのところありません。
なぜか台風も、放射能雲も上手によけて通ってくれて、
本当に災害が少ない町です。
でもしっかりと防災は考えなくてはならないし、
避難者の受け入れなどについてもきちんと考えておかなければいけないでしょう。
今日は最後に意見交換の時間がありましたが、
各自治体のさまざまな被災地支援の事例をききながら、
さてわが日高市は何をしただろう、被災地のことを真剣に考えて、
そして自分たちの頭と体を使って、あるいは身を削って
なにか支援できたのだろうか??と考えてしまいました。
熊坂さんが怒ってらしたテレビキャスターの言葉
「私たちは決してこの震災を忘れない」
「忘れない」だって?震災は今まだここに現実にあるんだっ!
細くとも長く、そしてひとりよがりにならない着実な支援を続けていくことが大事ですね。