田中まどかのブログ~まどから風を~

日高市議会議員 田中まどかのブログです

2011年08月

今日は議案質疑。
私は22年度決算、23年度補正予算、日高市営住宅条例の一部改正について質疑しました。
 
この9月議会は議案が多く、21議案。
決算書、監査報告書、議案書など、試しに全資料の厚さを測ったら5センチはありました
 
よく「議員になって一番大変なことは何?」と聞かれますが、
とにかく「資料を読むこと」です。
速読術をマスターして、眠くならないおまじないを覚えて、家事をしてくれるロボットがいて、
一日が36時間あったらいいな、なんてことをいつも考えています。
でも考えてみたらこれを作る人がいるんですよねえ・・・膨大な時間がかかるよねえ・・・
 
それにしても21議案あって、議員が18人いるのに、今日質疑したのは6人だけ。
もちろん委員会でも審議しますが、もう少し議場で発言してもいいんじゃないかしら。
 
そして、またまた出ました。ベテラン議員からの「人事案件に質疑するな」発言
 
今日は平井議員と伊藤議員が人権擁護委員の候補者について質疑しましたが、
候補者がどんな人か、人権についてどんな考えを持っているか聞くのは議会人として
当たり前だと思うのですが・・・。
 
そうやって今まで人事案件に口出さないできたから
選挙管理委員会のように「責任とって辞める」委員を出すことなったんじゃないでしょうか?
今回の選管の票数の不適正処理については、選挙監理委員を選んだ議会にも責任があると
私と平井議員は考えていますが、言ってもみなさんスルーです。
選管委員長ひとりに責任押しつけて終わりなんて、絶対ダメです!

岩手県大槌町の新しい町長が決まった。
市職員のころから防災マップを外注せず、地域で作ろうとした人らしい。
今回の選挙のハガキのデザインや後援会報も自分で書いたという。
 
「復興のためには恥も外聞もない。銀座でプラカード持って大槌をアピールする。黙っていたら滅びる」
とまで言い、その危機感は相当なもの。
あの焼け野原のような地と、傷ついた町民に向き合うのだから、その覚悟も相当だろう。
 
民主党の党首も決まった。
さあ、こちらの覚悟は・・・?
 
自分の町が「滅びるかもしれない」と恐れている町長の前に「立ちはだかる」のが
自分の国が「なんとかなるだろう」と思っている元首では
あまりにもせつないではないですか・・・(そんなことないと信じたいですが)
 

今日朝8時から行われるはずだった防災訓練は雨のため中止に。
すかさず友人から「防災服デビュー残念」のメールが。
今度訓練のある再来年まで出番なしであることを祈ります。
 
いやしかし、雨で中止でいいのでしょうか?
会場の小学校校庭が荒れてしまうので中止はやむをえないのでしょうけど、
本来、災害は雨でも夜でも来る時を選ばずです。
 
午前中から東北応援隊の活動もあったのですが、
今議会で審議する22年度の決算書を見る時間がとれないので
さぼってしまいました~
 
夕方からは、鹿山にある児童デイサービス「蛍」さんのミニ夏祭りのお手伝い。
蛍さんに子どもを預けているお母さん達や支援者が開きました。
カレー、焼きそば、フランクフルト、輪投げ、ピンボールなど、
障害のある子どもたちも夏のひとときを思い思いに楽しんでいました。
ご近所さんとの交流も目的のひとつだったのですが、
地域の方のは来場者は少なかったようです。
初めての試みなので、これから徐々に地域に浸透していけばいいですね。
 
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蛍さんは庭が広いので
こういうイベントも
目の前でできます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

昨日、選挙管理委員会を傍聴しました。
県知事選での不祥事があった後だけに、どんな話し合いがされるのか注目していたのですが、
なんと!
 
10:00開会
・委員長あいさつ
・選挙人名簿の縦覧場所の決定について←異議なし可決
・委員長の退職について←委員長除斥(退席)のあと、質疑なし承認
・議事録署名
10:08閉会
 
委員長退職の理由は「退職したい旨の申し出があったため」だけ。
それに対する質疑も意見もなし。
委員長退職後の体制などについてもいっさい話し合われませんでした。
 
ありえません。
 
起こしてしまったことは仕方ないとしても、しっかり振り返りをして、
そこから学び、改めていかなくてどうするんでしょうか?
 
PDCAサイクルがどーのこーのって・・・よく言うけど、
これじゃいつまでたっても絵に描いた餅のままです。
 
 

昨日のつづきです。
 
大槌町の津波の映像はみなさんも目に焼きついていることでしょう。
まさにその跡が目の前にありました。絶句です。
町には岩手県知事選挙、大槌町長選挙、町議会議員選挙のポスター掲示版が立っていました。
この焼け野原のようなところから、どのようなまちづくりをしていけるのか・・・。
なにか途方もないことのように思われました。
 
仮設住宅もたくさん見かけました。
中には え?ここに?また津波が来たら絶対あぶないでしょ!?という場所にも。
 
仮設住宅に住む方たちが作物や花を育てることで、
交流したり癒されたりできるよう、畑を作ったり、種をまいたりするプロジェクトがあり、
今回はその作業に参加してきました。
 
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手作り感満載の参加者募集チラシ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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まずは持ち寄った種の
交換会。
 
近くで農業しているおばちゃんたちも参加。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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植える場所に移動して
作業開始!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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ここが野菜や花いっぱいの
農園になりますように。
 
 
また近いうち行けるといいな。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
私は3日間だけでしたが、今回寝泊りしたボランティア拠点には、
長い期間ボランティアしている人や、何回も来ている人がたくさんいました。
瓦礫撤去だけでなく、写真や思い出の品の洗浄をしている人、
子どもの学習支援に来ている学生さんや、祭りのスタッフとして来ている人、
マッサージなど技術的な支援をしている人などさまざまです。
 
瓦礫は一段落しても、まだまだ支援が必要です。
私たちひとりひとりができることを、これからも考えていかなくては、と強く思いました。
 
 
↓今回お世話になったところです。
遠野まごころネット;http://tonomagokoro.net/

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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