近年、市内の中学校、そして全国の中学・高校の合唱祭などで歌われている
「ヒロシマの有る国で」という歌があります。
今年の仲良し音楽祭でも歌われ、
聴いた人は「感動して涙が出た」と言っていました。
「わたしの国とかの国の人の生命はおなじ」
「ヒロシマの有る国でしなければならないことは、ともる戦の火種を消すことだろう」
この歌を歌うにあたって、子どもたちは歌詞の意味を深く考えたことと思います。
この歌を知った全国の多くの中高生が考えたことと思います。
そして、いったい誰が火種を消すのか、と。
僕たちなのか?私たちなのか?
でも大人はなにしてるの?火種を消すどころか作っているんじゃないのか、と。
世界のあちこちで内戦や紛争が絶えず、
国内でもきな臭いことが見え隠れしている。
中国、韓国、ロシアとの領土問題。米軍基地問題。オスプレイ配備。改憲・・・。
教育現場での君が代・国旗強制などもそう。
日々のニュースなどから感じていることは多いと思うのです。
それに「ヒロシマの有る国」が原子力を捨てられないでいる。
これも子どもたちには不可解なことだろうと思います。
どうか為政者たちが、子どもたちの歌声を裏切ることのないよう、
そしてこの歌を子どもたちに歌い継いでもらいたいと願って選曲している
教育関係者や音楽関係者のおもいを砕くことのないよう、願っています。
大橋巨泉さんの言葉。
「戦争とは、年寄りが始めておっさんが命令し若者が死んでいくもの」
そんなことにならないよう、私たちおとなが戦の火種を消す努力をしなければいけませんね。
この「ヒロシマの有る国で」を作詞作曲した山本さとしさんにお会いしたことがあります。
お会いした後、お手紙を書いたらサイン入りのギターピックを同封したお返事をくださいました。
(不覚にもなくしてしまったのですが・・・)
山本さんの歌声は合唱とはちがって穏やかで柔らかい響きなのですが、
ふつふつと怒りが湧き上がってくるようです。
話は戦争から離れますが
山本さんのアルバムに「ぼくの卒業式」という歌が入っています。
「いじめ」のことを歌っています。
いじめにじっと耐え、ぼくはただただ卒業式を待っている、という切ない歌です。
子どもたち、若者たちが人と信頼関係を結びながら、自分らしく、自由と平和を享受して
その時代時代を過ごせるような社会、世の中になるようにする。
私たちおとなのミッションです。
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